世界大百科事典(旧版)内のダニエル,Yu.M.の言及
【異論派】より
…すでに60年代はじめから自らの主張をタイプ・コピーで広めること(サミズダート),広場で朗読集会を開くこと,国外で作品を発表することは始まっていた。この面での最初の衝突は66年2月10~14日のダニエル=シニャフスキー裁判である。作家Yu.M.ダニエルとゴーリキー世界文学研究所員シニャフスキーはペンネームで国外で作品を発表したが,これが〈反ソ宣伝〉だとして刑法70条違反に問われ,自由剝奪5年および7年の判決を受けた。…
【シニャフスキー】より
…同時に59年以後国外で,評論《社会主義リアリズムとは何か》(1956),中編小説《審問》(1956),《リュビーモフ》(1962‐63),アフォリズム集《思わぬ閃き》(1966)などをアブラム・テルツの筆名で発表。これが当局に知られ,65年8月友人の作家ユーリー・ダニエル(筆名ニコライ・アルジャク)とともに逮捕され,66年2月強制労働7年(ダニエルは5年)の刑を宣告される。この裁判記録は非合法に国外へ持ち出され(ギンズブルグの《裁判白書》など),自由な創造への弾圧として世界の世論を喚起した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」