世界大百科事典(旧版)内のチホミーロフ,V.D.の言及
【ボリショイ・バレエ団】より
…劇場はペテルブルグ(現,サンクト・ペテルブルグ)のマリインスキー劇場と並んでロシア音楽文化発展の推進力となったが,ことバレエに関しては,宮廷と貴族の厚い庇護下にあったペテルブルグに数歩を譲らねばならなかった。ボリショイ・バレエ団がゴルスキーAleksandr Alekseevich Gorskii(1871‐1924)を指導者に迎え改革に踏みだしたのは1902年で,彼はペチパのもとで学んだ経験を生かしてモスクワの演目を豊かにし,また芸術座の演劇改革の理念に呼応してバレエにおける因習打破と革新の担い手となり,ゲリツェルEkaterina Vasil’evna Gel’tser(1876‐1962),チホミーロフVasilii Dmitrievich Tikhomirov(1876‐1956)以下多くの新人を育てあげ,17年の革命前後の困難な時代に偉大な功績を残した。ボリショイが革命的主題をもつ新作の上演に成功したのは27年,R.M.グリエール作曲の《赤いけし》であった。…
※「チホミーロフ,V.D.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」