世界大百科事典(旧版)内のチャトラパティの言及
【マラーター同盟】より
… 王国の創始者は,17世紀にデカン地方を支配したムスリム王国アーディル・シャーヒーの武将シャーハジー・ボーンスレーを父とするシバージーである。彼はプネーに本拠をおき,マハーラーシュトラ地方の豪族や農民を結集しつつ,巧みなゲリラ戦法で近隣のムスリム勢力を打破,またムガル朝アウラングゼーブとも対等に渡り合い,1674年にラーイガル山砦でみずから王(チャトラパティCatrapati)となり,一大ヒンドゥー王国の基礎を築いた。デカン進出を図るムガル朝との対決関係は続くが,アウラングゼーブの死(1707)以後はマラーター王国の勢力はデカンの地に定着する。…
※「チャトラパティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」