つぶし島田(読み)つぶししまだ

世界大百科事典(旧版)内のつぶし島田の言及

【髪形】より

…江戸後期は鬢中心の時代で,髱と前髪は目立たぬ髪形となり,鬢には安永(1772‐81)ころ,鬢張(びんはり)というものが工夫され,横に大きく張り出した灯籠鬢が流行した。この派手な鬢とともに,髷も多岐にわたり,島田髷も文金島田,つぶし島田,きりずみ島田などが結われ,勝山髷も前期の細い髷から,大きな幅広の髷に変わった。これは巷に髪結が増え,腕を競い合い,さまざまな髪形を創り出したのも原因の一つといえよう。…

【島田髷】より

…江戸前期,男髷を基礎として案出され,語源は定説はないが,東海道島田宿の遊女が結いはじめたのに由来するという。初期の髷は大島田(おおしまだ)といわれ髷が太く素朴に結われているが,のち技巧が加えられ,根を高く髷を厚く結う高島田,根を低くし髷の中央をくぼませるつぶし島田,投げ島田などが親しまれている。このほか,江戸中期,後期を含めてその名称だけで30種類近くある。…

※「つぶし島田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」