世界大百科事典(旧版)内のティグラノケルトの言及
【アルメニア】より
…アルタシェス朝はティグラン(ティグラネス)大王(在位,前95‐前55)の治世下に最盛期を迎え,領土は黒海,カスピ海,地中海に達した。王は,広大な領土の中央に新都ティグラノケルト(トルコ南西部)を置いた。前1世紀のローマとイランとのアルメニア争奪戦がイランの勝利に終わると,パルティア王族の分家がアルサケス朝を興した(後62)が,やがて両帝国の戦争が再開されてアルメニアは分割され,アルサケス朝はローマ側で391年,イラン・ササン朝側では428年に廃されて,それぞれ直接統治に移された。…
【ティグラン[2世]】より
…セレウコス朝シリアを併合(前83)したので,領土はカスピ海から地中海まで広がった。ワン湖南西に新首都ティグラノケルトを建設した。隣国ポントスとは,通婚同盟を採って友好に努めたが,前69年ローマ軍の急襲を受けて敗れ,家臣となった。…
※「ティグラノケルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」