テリトリーの戦(読み)てりとりーのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のテリトリーの戦の言及

【宮宰】より

…メロビング(フランク)国王以外に各分国王も宮宰を置き,なかでもネウストリア,アウストラシア,ブルグントの宮宰が頭角を現した。メロビング時代末期には王権の弱化に伴い,宮宰が政治上の実権を握り,アウストラシアの宮宰カロリング家のピピン2世(中ピピン)が,ネウストリアの宮宰エブロインを破った(テリトリーの戦,687)のちは,ピピンが全国の実権を握り,その子カール・マルテルがトゥール・ポアティエの戦(732)でイスラム教徒の侵入を撃退したことにより,カロリング家の名声が確立し,その子ピピン3世(小ピピン)は751年クーデタにより王位に就き,カロリング朝を開いた。【平城 照介】。…

※「テリトリーの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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