世界大百科事典(旧版)内のテル・アッサッワーンの言及
【サーマッラー】より
…人口約5万7000(1973)。その南東方の郊外にあるテル・アッサッワーンTell al‐Sawwānの遺跡から近年,前6千年紀のアラバスター製女性小像や前5千年紀の彩文土器が発見されている。アッバース朝時代に第8代カリフ,ムータシムal‐Mu‘taṣim(在位833‐842)によってバグダードからここに政庁が移され,約50年間(836‐892)首都として栄えた。…
【サーマッラー文化】より
…小さな部屋が数個規則的に配置された日乾煉瓦の家に住み,集落はかなり大きく,チョガ・マミでは4~5haと推測されている。テル・アッサッワーン発見の墓から大量のアラバスター製容器とともに石偶が出土した。サーマッラー文化から南メソポタミアのウバイド文化へ発展したらしい。…
【メソポタミア】より
…前6千年紀には東シリアのハラフ(ハラフ文化),北イラクのハッスナ(ハッスナ文化)などで,より進んだ村落文化がみられる。わずかに遅れてザーグロスの丘陵のチョガ・マミ,サーマッラー近くのテル・アッサッワーンTell al‐Sawwānなどにサーマッラー文化が成立した。前者は天水農耕成立のための限界降雨量の地域にあり,また後者では天水農耕はまったく不可能であった。…
※「テル・アッサッワーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」