世界大百科事典(旧版)内のディオドトスの言及
【インド・ギリシア人】より
…サンスクリット語ではイオニアのなまったヤバナYavanaの名で,また俗語ではヨーナYonaの名で呼ばれる。アレクサンドロス大王の帝国の北東端にあたる中央アジアのバクトリア地方は,大王の死後シリアのセレウコス朝の支配下に入ったが,前250年ごろギリシア人太守ディオドトスがこの地に独立王国をうち建てた。このバクトリア王国のギリシア人勢力は,マウリヤ朝が衰退に向かった前200年ごろから西北インドに侵入し,一時はガンガー(ガンジス)川中流域にまで兵を進めた。…
【バクトリア王国】より
…前250年ころバクトリア太守ディオドトスDiodotosが,セレウコス朝の支配から独立,建国したギリシア人王国。首都は現在のアフガニスタン北部のバルフ(古称バクトラBaktra)にあった。…
【パルティア】より
…アルサケス1世Arsaces I(在位,前247‐前217か214)はスキタイ系遊牧民ダアアイの一部族パルノイを率いてアスタウエネを占領し,前247年アサアクにおいて即位した。まもなくセレウコス朝からパルティア総督アンドラゴラスAndragorasが離反し,ついでバクトリアのディオドトスDiodotosが自立する事件が起こった。アルサケスはこの機会をとらえて前238年ころパルティアを征服し,さらにカスピ海南東岸のヒュルカニア地方を併合した。…
※「ディオドトス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」