デウリノの休戦(読み)でうりののきゅうせん

世界大百科事典(旧版)内のデウリノの休戦の言及

【チェルニゴフ】より

…ウクライナの同名州の州都。人口30万6000(1991)。デスナ河畔の港湾都市で,軽工業,食料品製造,化学工業,木工業が行われている。その名は907年のキエフ・ロシアとビザンティンとの条約中にキエフに次いで2番目に挙げられており,すでに9世紀には存在していたと思われる。11~13世紀初めにはチェルニゴフ公国の首都で,主教座も置かれていた。1237‐40年のモンゴル軍の攻撃により大被害をこうむり,荒廃した。…

【ミハイル・ロマノフ】より

…動乱時代(スムータ)末期にゼムスキー・ソボル(全国会議)により皇帝に選出され,その協力を得て,まず国内秩序の回復に努めた。ロシア北西部とノブゴロドを占領し,さらにプスコフに迫っていたスウェーデンとは,1617年ストルボバの和議を結び,モスクワ近郊に攻め寄せていたポーランドとは,翌18年にデウリノの休戦を成立させた。一方,重税と農奴制の強化による内政の再建に着手し,シベリアの開発を推進した。…

※「デウリノの休戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む