世界大百科事典(旧版)内のデクラの言及
【ポマー】より
…ドイツ映画の黄金時代を築いたプロデューサー。第1次大戦開戦後の1915年にデクラ社を設立し,表現主義映画の先駆的作品となったロベルト・ウィーネ監督《カリガリ博士》(1919),フリッツ・ラング監督《ドクトル・マブゼ》(1922)をつくった。23年にデクラ社がウーファ社に合併されたのちも,ラング監督《ニーベルンゲン》(1924),F.W.ムルナウ監督《最後の人》(1924),E.A.デュポン監督《ヴァリエテ》(1925),ヨーエ・マイ監督《アスファルト》(1929)などドイツ表現主義映画の代表作をはじめ,ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督《嘆きの天使》(1930),エリック・シャレル監督《会議は踊る》(1931)など,トーキー初期の重要な作品を製作,ハリウッドに対抗して,ベルリンを〈映画の首都〉とさえいわせたほどの勢いでドイツ映画の黄金時代を築き上げた。…
※「デクラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」