デュ・メーヌ公夫人(読み)でゅめーぬこうふじん

世界大百科事典(旧版)内のデュ・メーヌ公夫人の言及

【サロン】より

…のちのマントノン夫人marquise de Mantenon)のサロンなどがあり,17世紀末には自由思想家(リベルタン)たちを集めたニノン・ド・ランクロNinon de Lenclos(1620‐1705)のサロンも出現した。 ルイ14世が死んで(1715)摂政時代になると,〈古代人と近代人の優劣論争〉(新旧論争)などが行われたランベール夫人marquise de Lambert(1647‐1733)のサロン(1710ころ‐33),華やかな文学遊戯や奔放な風俗で名高いデュ・メーヌ公夫人duchesse du Maine(1676‐1753)のサロン(パリ南郊のソーSceauxの邸で開かれた)などが現れる。18世紀のサロンは概して啓蒙思想家(フィロゾーフ)たちの集会場の観を呈する。…

※「デュ・メーヌ公夫人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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