世界大百科事典(旧版)内のデリンジャー,J.の言及
【ギャング映画】より
… ギャング映画の変質と衰退の原因としては,まず第1に,禁酒法撤廃(1933年12月)とともにギャング映画の現実感が急速に薄まったことがあり,それと同時に,現実のGメン(FBI)が映画以上に大活躍して,ギャングを圧倒したということもあった。大恐慌のあと,1933年から34年にかけて,禁酒法撤廃に伴って,アメリカ中西部を中心に,マ・バーカーとその息子たち,ベビーフェース・ネルソン,マシンガン・ケリー,ボニーとクライドといった〈地方ギャング〉が大衆の興味をひき,なかでも16件の銀行強盗と4回の脱獄をはでにくりかえして〈民衆の敵No.1〉とみなされるに至ったジョン・デリンジャーは,ギャング映画のヒーローなみの喝采を浴びていた。しかしFBIは34年の前半までに,これらの群小ギャングのほとんどを射殺し,デリンジャーも34年9月22日にシカゴの映画館でクラーク・ゲーブル主演のギャング映画《男の世界》を見て出てきたところを待ち構えていたFBIに撃ち殺された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」