世界大百科事典(旧版)内の《デーリー・テレグラフ》紙事件の言及
【ウィルヘルム[2世]】より
…ドイツ皇帝およびプロイセン王。在位1888‐1918年。皇帝に即位するや宰相ビスマルクを辞任させ,積極的な海外進出(いわゆる〈世界政策〉)に乗り出す。ロシアとの再保障条約の不更新,穀物関税の引上げ,近東への進出(三B政策)などによってロシアやイギリスとの対立を招き,他方,海相ティルピッツのもと大艦隊の建造に着手し,英独建艦競争を引き起こし,イギリスとの対立を深めた。またモロッコ問題でフランスと衝突した。…
※「《デーリー・テレグラフ》紙事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」