世界大百科事典(旧版)内のトリッシーノ,G.G.の言及
【古典劇】より
…とくにフランスで盛り上がった演劇を古典劇(古典主義演劇)と呼ぶことが普通であり,たとえばシェークスピアのようにギリシア・ローマの古典に負うところが大きい作家であっても,彼の作品を古典劇と呼ぶことはあまりない。16世紀の初め,イタリアでは,トリッシーノGiovanni Giorgio Trissino(1478‐1550),チンティオCintio,L.アリオスト,N.マキアベリらがギリシア・ローマの古典劇を模倣して試作していた。これがルネサンスの機運に乗り,フランスに波及して影響を与える。…
【バロック劇】より
…セネカの悲劇では場所の統一が守られており,一方の喜劇では,前舞台が街頭をあらわし,その後方に登場人物の家々が並ぶというほぼ定まった形がとられているが,前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスの建築書の劇場の章は,その形を基本にした前舞台と後方に五つの扉のある劇場についてふれており,それはルネサンス期にビチェンツァのオリンピコ劇場(1584)などの設計の指針となった。やがて人文学者たち自身も戯曲を書き始め,セネカに倣った運命の残酷さを描くG.G.トリッシーノ(1478‐1550)やジラルディ・チンツィオ(1504‐74)の恐怖劇が生まれた。また,ローマ喜劇に範をとった喜劇にも,L.アリオスト,N.マキアベリ,ビビエーナ(B.ドビツィ)などの作品がある。…
※「トリッシーノ,G.G.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」