世界大百科事典(旧版)内のトレベニシュテの言及
【イリュリア人】より
…スロベニア共和国の首都リュブリャナに近い前7~前5世紀にかけてのバチェVače遺跡からは勇壮な騎馬像を浮彫した大ぶりの青銅製シトゥラ(バケツ),剣,矛,短剣,兜,胸当などの武器・武具,装身具,日常用品,祭器などが出土している(リュブリャナ国立博物館蔵)。またマケドニアのオフリト湖に近いトレベニシュテから出土した前6~前5世紀の黄金のマスク,青銅製クラテルなどの豪華な品々はベオグラード国立博物館に展示されている。彼らは文字を持たなかったため文書類は残っておらず,ギリシア文字やラテン文字で記されたイリュリア語のテキストもない。…
【ユーゴスラビア】より
…コソボのプリシュティナ近郊プレディオニツァPredionicaからは,前2千年紀後半の,眼と鼻を強調した小さな塑像が出ており,イリュリア人の時代では,スロベニア中部リュブリャナの東のバチェVačeから,打ち出しで日常生活や動物を描いた前500年前後の青銅の容器が出土している。またマケドニア南部オフリト湖北のトレベニシュテTrebeništeやセルビア南部ノビ・パザールNovi Pazarからは,ギリシアのアルカイク美術の影響を示す金工品などが出土しており,のちにマケドニア王フィリッポス2世によるヘラクレイアHērakleia(現ビトラ,マケドニア南部)の建設や,トラグリオンTragourion(現トロギルTrogir,ダルマツィア南部)などのアドリア海沿岸のギリシア植民都市の建設に先がけて,ギリシア文化の内陸部への影響を物語っている。 紀元前後,最終的にローマに征服され,ダルマティア,ノリクム,パンノニア,モエシア,マケドニアなどの属州が置かれ,ローマの文化が当地に及ぶ。…
※「トレベニシュテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」