世界大百科事典(旧版)内のトレント・マージー運河の言及
【運河】より
…それはやがてマンチェスターまで延長され,マンチェスターおよびその周辺の産業に多大の影響を与え,さらにリバプールの貿易,とくにアメリカ産原綿の輸入に役立った。69年にはバーミンガム運河が炭田地帯のサウス・スタッフォードシャーとバーミンガムの間を結び,77年にはトレント・マージー運河(大幹線運河とも呼ぶ)がテムズ川をミッドランド地方に結びつけた。このようにして,18世紀半ばすぎにはじまるいわゆる運河狂時代は,工業地帯を結びつける運河網を形成しながら1830年ころまで続いたのである。…
【運河狂時代】より
…沿岸航行と河川航行が盛んだったイギリスでは,むしろ運河建設は遅かったが,1761年に完成したブリッジウォーター運河が,ワースリーからマンチェスターへの石炭積出用として大成功して以来,産業革命の中心となったランカシャーやミッドランドをはじめ全国に運河が掘られた。ミッドランドのトレント渓谷とランカシャーのマージー川を結ぶ大幹線運河Grand Trunk Canal(別名,トレント・マージー運河)を軸として,セバーン,テムズ両川などとも連絡したので,主要な都市がことごとく内陸水運で結ばれたのである。運河は,法によって許可された会社組織で建設,運営された(図)。…
※「トレント・マージー運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」