世界大百科事典(旧版)内のトローネル,A.の言及
【映画美術】より
…これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。メールソンの弟子のトローネルAlexandre Trauner(1906‐93)の仕事は《天井桟敷の人々》(1944)を代表とするマルセル・カルネ=ジャック・プレベール作品に結実し,〈詩的レアリスム〉の名のもとにフランス映画の黄金時代を築くとともに,大戦後はハリウッドにも招かれ,ビリー・ワイルダー監督作品(《アパートの鍵貸します》(1960),パリの中央市場を再現した《あなただけ今晩は》(1963),等々)などを介して,アメリカ映画における美術監督の概念を変容せしめた。いずれにあっても映画美術を舞台装置やデザインなど,既存の演劇や美術に基礎をおく美学的価値観から解放し,フィルムの光学的特質を最大限に活用した点が特徴的である。…
【クレール】より
…《自由を我等に》(1931)や《最後の億万長者》(1934)の〈ギャグによる文明批評〉(例えば大工場の流れ作業=ベルトコンベヤシステムの人間性疎外のイメージ,ニワトリで支払うと卵でおつりがくるという物々交換の原始経済国家で一文なしの〈億万長者〉が独裁をふるう等々)はチャップリン(《モダン・タイムス》1936,《チャップリンの独裁者》1940)に影響を与えたとさえいわれた。クレールの世界的名声の確立に貢献した1930年代初期のこれらの作品は,いずれも亡命ロシア人ラザール・メールソン(1900‐38)の美術による人工的なパリをオープンセットにした作品で,メールソンの助手であった亡命ハンガリー人アレクサンドル・トローネル(1906‐93)を通じて,プレベール=カルネ(ジャック・プレベール脚本,マルセル・カルネ監督のコンビ)の〈詩的リアリズム〉の作風の基盤を築いたものであった。ポール・オリビエ,レーモン・コルディ,ガストン・モド,レーモン・エーモスといった〈クレール一家〉の洒脱なわき役陣がその喜劇の人気の秘密でもあった。…
※「トローネル,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」