世界大百科事典(旧版)内のトントン・マクートの言及
【デュバリエ】より
…いったん権力の座につくと,議会を解散し,対立候補のない選挙で大統領に再選され,62年にはついに終身大統領をみずから宣言した。政敵や反体制派を駆逐したり弾圧したりするために,〈トントン・マクート〉と呼ばれる秘密警察をつくって暗殺や脅迫をくり返しながら,〈パパ・ドック〉の異名の下で独裁体制と恐怖政治を続けた。71年に死期を悟ると,息子のジャン・クロード・デュバリエ(1951‐ )を後継大統領に指名するよう国民議会に圧力をかけた結果,当時まだ20歳に達していなかったジャン・クロードは,ラテン・アメリカでは最年少で大統領に就任することになった。…
【ハイチ】より
…政党は,デュバリエの結成した民族統一党の一党独裁で,ハイチ共産党などの既成政党は非合法状態に置かれた。デュバリエ独裁体制の下で,ハイチは平均寿命が50歳,非識字人口が80%に達し,また〈トントン・マクート〉といわれる秘密警察によって言論・結社の自由を奪われた。しかし,1985年秋に始まった国民の暴動によって86年2月,大統領は国外へ脱出し,29年間続いたデュバリエ一族の独裁は崩壊した。…
※「トントン・マクート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」