世界大百科事典(旧版)内のドイツ同盟の言及
【ラント】より
… 中世末ころから近世にかけてこのような形のラントは大小300余も形成されていたが,その大部分においてはまだ私法的な関係が支配的であり,近代的な行政制度を備えていなかった。東ドイツ植民運動の過程で成立したドイツ騎士修道会所領の東西プロイセンとブランデンブルクを基盤として台頭しつつあったプロイセンとオーストリアはいち早く大領国を形成していたが,両者の間で勢力が分裂していたため諸侯はかつてナポレオンの保護下で結んだライン同盟に範をとって1815年にドイツ同盟を結成した。オーストリアはこの同盟に参加していたが,66年にドイツ連邦から離れ,以後ドイツのラントではなくなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」