世界大百科事典(旧版)内のドゥベリア,A.の言及
【リトグラフ】より
…名所図絵的な風景石版画も流行し,テーラー男爵の《古きフランスへのロマンティックでピトレスクな旅》(25巻)は1820‐78年に刊行された記念碑的出版となり,ボニントン,ユエ,イザベーEugène Isabey(1803‐86)ら多くの版画家が協力した。さらに著名人の肖像石版画では,ドゥベリアAchille Devéria(1805‐59)の甘美な作風が人気を博した。1820年代から興隆した新聞や雑誌の挿絵も安価で速い転写法による石版で刷られ,風俗画,戯画,時事風刺画にラミEugène Lami(1800‐90)やモニエHenri Monnier(1805‐77),A.ドカンらが腕を競った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」