ドブロティチ(読み)どぶろてぃち

世界大百科事典(旧版)内のドブロティチの言及

【ドブロジャ】より

…ローマ皇帝トラヤヌスはここに城壁を築き,アダム・クリシAdam Clisiには皇帝の偉業をたたえる記念塔が建てられたが,この地方はその後のビザンティン帝国時代も,南ロシアや中央アジアのステップ地帯から殺到する諸民族にたいする防衛線の役割を果たした。この地を通過した諸民族にはアバール人,スラブ人,ブルガール族,ペチェネグ人,クマン人等があり,ビザンティン時代にはトルコ系のブルガール族やクマン人の独立国家がこの地方を包摂した時期もあった(ドブロジャという名称はクマン人の王朝名ドブロティチDobrotićiに由来するという説もある)。オスマン帝国のバルカン進出にともないこの地の要塞も漸次その手に落ち,1484年以降おもにシリストラのパシャ領に編入された。…

※「ドブロティチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む