ドラゴシュ,I.(読み)どらごしゅ

世界大百科事典(旧版)内のドラゴシュ,I.の言及

【ビホル】より

…しかし18世紀からオーストリアやハンガリーの植民政策により人口が増加した。19世紀を通じてハンガリーの民族政策に反発するルーマニア人の民族運動が強まったが,そのなかで1848年革命でコシュートに協力したルーマニア人ドラゴシュIoan Dragoş(1810‐49)や民族差別政策に反対したハンガリーの詩人アディら両民族の平等と友好を願う著名人をも生み出した。トリアノン条約(1920)によりルーマニア領となり,1940年ウィーン裁定により一時ハンガリー領となったが,パリ条約(1947)により再びルーマニア領となった。…

※「ドラゴシュ,I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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