世界大百科事典(旧版)内のドラシュコビッチ,J.の言及
【イリュリア運動】より
…42年には半月と明星をあしらった紋章も生まれた。論文《デセルタツィア》を書いて新思想に賛同したドラシュコビッチJanko Drašković伯(1770‐1856),叙事詩《スマイル・アガ・チェンギッチの死》でシュト方言の傑作をものしたマジュラニッチIvan Mažuranić(1814‐90)など,《明星》に当時ほとんどのクロアチア作家,愛国者が結集。42年にはマティツァ・イリュリスカが設立されて出版活動が始められた。…
※「ドラシュコビッチ,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」