世界大百科事典(旧版)内のドラマ・バレエの言及
【レニングラード・バレエ団】より
…革命後国立オペラ・バレエと改称された劇場は,20年代にいたってようやく混迷を脱し,舞踊学校のA.Ya.ワガノワ門下からM.T.セミョーノワ,G.S.ウラノワ,男性舞踊手としてK.M.セルゲーエフ,V.M.チャブキアニらの逸材が輩出し,バレエ団は往時に劣らぬ陣容と活力を回復した。 30年代から40年代には若いバレエ・マスターたちがB.V.アサフィエフの《パリの炎》と《バフチサライの泉》,プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》を演出,史実や文学作品をもとにした台本によって,バレエの真実性を深めようとする新しい〈ドラマ・バレエ〉のジャンルを確立した。これと前後して幹部要員のモスクワ転出があり,新旧首都におけるバレエ劇場に格差が生じたが,ロシア・バレエの揺籃として200年の伝統をもつキーロフ劇場はゆるがなかった。…
※「ドラマ・バレエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」