世界大百科事典(旧版)内のドービニャック師の言及
【演劇】より
…先に引用したアリストテレスの〈真実らしさ〉の論を中心に,17世紀フランスにおいて頂点に達したいわゆる三統一などをめぐる規則論議も,劇作家の実践としてはこの点にかかっていたのである。当時の理論家の一人ドービニャック師François Hédelin,abbé d’Aubignac(1604‐76)はその《演劇作法》の中で,〈規則は理性に基づく〉べきものであり,また〈真実らしさこそすべての戯曲の根拠である〉と説いたし,それはフランス古典主義演劇の方法における合理性的志向の強調の例としてしばしば引かれるが,しかし,理性を〈万人にひとしく分かち与えられている良識(ボン・サンス)〉と了解するなら,それはいくら芝居は約束事の噓だからといって,ただ荒唐無稽なことをやってよいということにはならないという,ごく単純な原理の確認にほかならないし,世阿弥の伝書が〈儀理〉の伝統を継いで,田楽や近江猿楽のような無償の幽玄至上主義を排した動機に通じるものでもあるのだ。 ギリシア悲劇が先行叙事詩などによって語られてきた特定の王家の物語に主題を限り,世阿弥が〈本説〉の正しさを主張し,17世紀フランス悲劇が典拠への忠実さを論じたのは,いずれも観客に共有されている物語を用いることによって,その信憑性を確保しようとする配慮である。…
【古典主義】より
…もっとも絶対王政成立にとって最も大きな試練であったフロンドの乱の前後には,リシュリューの後を継いだイタリア人の宰相・枢機卿J.マザランによるイタリア・オペラの導入をはじめ,バロック的なものが隆盛を誇る。1657年刊のドービニャック師François Hédelin,Abbé d’Aubignac(1604‐76)の《演劇作法Pratique du théâtre》は古典主義の規範文書となるが,それに対する反論としてコルネイユは3編の論考を書き(《劇詩論》《悲劇論》《三統一論》),実作者の立場から規則議論を活かそうとした。喜劇はアリストテレスの《詩学》に欠損していることもあって,悲劇よりは自由であったが,規則議論が劇文学の質を急激に高めていく動きの中で,とくにモリエールによって悲劇に拮抗し得る優れた文学ジャンルとなる。…
【フランス演劇】より
…上記《ル・シッド》,モリエールの《女房学校》,ラシーヌ《アンドロマック》という17世紀の三大ヒットは,同時に三つの大論争の場であり,《ル・シッド》論争のごとくアカデミー・フランセーズの介入で始まった規則議論から,後2者についてのようにライバル劇団による批判劇上演までを含めて,それらはなまなましい現場的事件であった。そして結局は,古代劇の規範を,万人に等しくわかち与えられている理性=良識に照らして最も納得性のある劇作の基準として受け入れるのであるが,コルネイユ,モリエール,ラシーヌらの実作者としての反省と,ドービニャック師François Hédelin,Abbé d’Aubignac(1604‐76)《演劇作法》やN.ボアロー《詩法》に至る理論家の批評的言説は,〈言葉の演劇〉の傑作の群と相まって,優れて構造的な有機体である演劇が,自分自身を創造するとともに思考する場として〈言葉〉というものを手に入れる体験でもあった。古典主義劇作術とは,人間の劇を,普遍的(と17世紀の知識人が考えた)姿において描くことであり,そのために悲劇の素材はギリシア・ローマ神話やローマ史に限られ,不可避的に同時代の風俗劇という様相をもつ喜劇においてさえ,芝居の約束ごととしての置換えを必要としていた。…
※「ドービニャック師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」