ナルシェビチ,A.(読み)なるしぇびち

世界大百科事典(旧版)内のナルシェビチ,A.の言及

【ピアスト王朝】より

…〈ピアスト〉の名は《年代記》にシェモビトの父親であった農夫の名前として出てくるが,この部分の記述についてはライン地方の説話が後から付け加えられたものと考えられている。 〈ピアスト〉が王朝名として初めて使用されたのは16世紀末,シロンスクにおいてであり,ナルシェビチAdam Naruszewicz(1733‐96)が最初の学問的なポーランド史とされている《ポーランド民族史》(1780‐1824)で使用して以後,急速に普及していった。彼はピアスト王朝の時代を,強い王権によって国家統一が維持されていた理想的な時代としたが,これは19世紀を通じてポーランドの歴史家が抱き続けてきた基本的な〈ピアスト王朝観〉である。…

※「ナルシェビチ,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む