ナルシェビチ,A.(読み)なるしぇびち

世界大百科事典(旧版)内のナルシェビチ,A.の言及

【ピアスト王朝】より

…〈ピアスト〉の名は《年代記》にシェモビトの父親であった農夫の名前として出てくるが,この部分の記述についてはライン地方の説話が後から付け加えられたものと考えられている。 〈ピアスト〉が王朝名として初めて使用されたのは16世紀末,シロンスクにおいてであり,ナルシェビチAdam Naruszewicz(1733‐96)が最初の学問的なポーランド史とされている《ポーランド民族史》(1780‐1824)で使用して以後,急速に普及していった。彼はピアスト王朝の時代を,強い王権によって国家統一が維持されていた理想的な時代としたが,これは19世紀を通じてポーランドの歴史家が抱き続けてきた基本的な〈ピアスト王朝観〉である。…

※「ナルシェビチ,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む