世界大百科事典(旧版)内のニクソン,R.M.の言及
【インドシナ戦争】より
…ジョンソン大統領はこれら敗勢と反戦運動に押されて,10月,北爆の全面停止を宣言した。こうして69年1月以降,アメリカ,南・北両政府,解放戦線の4者会議がパリで開催される一方,7月にはニクソン新大統領が米軍撤退,南ベトナム軍の強化を骨子とするグアム・ドクトリンを発表し,翌70年より本格撤兵を開始した。しかし米軍は同時に南ベトナム政府軍の後方安定のために,70年3月18日カンボジアのロンノルLon Nol首相に反シアヌーク・クーデタを起こさせ,親米的なクメール共和国を成立させた。…
【ウォーターゲート事件】より
…1972年6月17日,アメリカ合衆国大統領ニクソンの再選を策するグループが,ワシントンのウォーターゲート・ビルの6階にある民主党全国委員会本部に侵入し,盗聴装置を仕掛けようとして未遂に終わった事件。最初,事件関係者としてジェームズ・マッコードJames McCordら7名が逮捕されたが,裁判の進行とともに,ミッチェルJohn N.Mitchell再選委員長を中心に計画が立てられたこと,ハルドマンH.R.Haldeman補佐官ら大統領側近も関知していたことなどが,法廷での証言によって明らかにされた。…
【核戦略】より
…こうした批判に対する核戦略の修正が1970年代以降に行われた。 確証破壊戦略の修正に着手したのは,1969年1月に登場したニクソン政権であった。ニクソン政権はニクソン・ドクトリンによって同盟国に対する防衛約束の縮小を図ったが,対ソ核戦力の均衡を重視して〈十分性戦略sufficiency strategy〉を提唱した。…
【弾劾】より
…下院が訴追し上院が裁判を行う方式は,イギリスの伝統を引き継ぐものであるが,この制度の下に,大統領,上院議員,陸軍長官,裁判官が訴追を受け,罷免の判決が下された例もある。近年では,ニクソン大統領が1972年の大統領選挙の際の不正行為に関連して弾劾の訴追を受け,上院で裁判にかけられ,辞任した例が有名である(ウォーターゲート事件)。他の諸国の憲法にも,弾劾制度が規定されているが,それらは,弾劾裁判の効果として刑罰を伴うイギリス型と罷免にとどまるアメリカ型とに大別することができる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」