ニケタス・ホニアテス(読み)にけたすほにあてす

世界大百科事典(旧版)内のニケタス・ホニアテスの言及

【ビザンティン文学】より

…修辞学の技術を最高度に駆使した代表的なジャンルが,皇帝や国家・教会高官にささげられた,エンコミアenkōmiaと呼ばれた数多くの賛美演説,その反対の,プソゴスpsogosと呼ばれた非難演説(なかでも興味ある一事例は,皇帝ユリアヌス作のアンティオキア市民に対する《ひげ嫌い》の作品),墓碑銘と弔辞,その他の機会の演説,君主の鑑(たとえば,アガペトスがユスティニアヌス1世に,オフリト大主教テオフュラクトスがドゥカス家のコンスタンティノスに,ニケフォロス・ブレミュデスが弟子たる若き皇太子テオドロス2世ラスカリスに,マヌエル2世が後継者たる子のヨハネス8世にあてたもの),自伝(リバニオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ミハエル8世,キュドネス・デメトリオス),都市や教会の描写(テオドロス・メトヒテスのコンスタンティノープル,パウロス・シレンティアリオスのハギア・ソフィアなど)などである。
[歴史叙述]
 ビザンティン帝国の歴史はそのほぼ全期間がプロコピウスプセロスアンナ・コムネナ,ニケタス・ホニアテスNikētas Chōniatēs(1155ころ‐1215∥16),ヨハネス6世カンタクゼノスIōannēs VI Kantakouzēnos(在位1341‐54)その他の史書や,歴史の主人公でもある皇帝,皇子,皇女,高官などの自身による同時代史叙述によっておおわれている。歴史家の多くは叙述場面への自己投入の卓越した技術を自家薬籠中のものとし,また,皇帝とその政策をしばしば批判の対象に据える。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」