世界大百科事典(旧版)内のニボワイエ,E.の言及
【女性運動】より
…30年代には,サン・シモン主義者,フーリエ主義者によって女性解放運動が開始され,F.トリスタンは〈労働者同盟〉の結成による男女労働者の解放をよびかけ,G.サンドは小説を発表して恋愛の自由を訴えた。48年の二月革命には,ニボワイエEugénie Niboyetによって新聞《女性の声La Voix des femmes》が発行され,こうした動きが核になり,離婚の自由,労働者の組織化,女性の解放が主張された。パリ・コミューンでは,女性は独自の組織をつくって活動し,女性の隷従状態からの解放を説いた教師C.L.ミシェルは,コミューンの闘争のために流刑に処せられた。…
【婦人参政権運動】より
…
[フランス]
フランスでは大革命のときにO.deグージュが〈女性と女市民の権利宣言〉(1791)を発表したが,その後,参政権運動は活発に展開しなかった。1848年の二月革命に,P.V.コンシデランは,憲法委員会に男女平等の政治的権利を要求し,ニボワイエEugénie Niboyetの発行する新聞《女性の声La Voix des femmes》では,婦人参政権のキャンペーンがなされ,49年にドゥロアンJeanne Deroin(1810ころ‐94)は,女性が選挙権をあたえられなかったことに抗議して立法議会の議員に立候補した。1870年のパリ・コミューンの激動が去ると,婦人参政権運動は大ブルジョアのドゥレームMaria Deraismes(1828‐94)の指導の下に移った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」