世界大百科事典(旧版)内のネイズベストヌイ,E.I.の言及
【ロシア・ソビエト美術】より
…その傾向は,大祖国戦争からスターリンの晩年にかけて頂点に達する。非スターリン化の口火を切ったフルシチョフは,第一書記時代,ある彫刻を〈ロバの尻尾〉と批判したが,晩年,あれは本心ではなかったとわび,この彫刻家E.I.ネイズベストヌイに自分の墓を設計させた。 ペレストロイカ以降は美術界にも自由な気運が生じ,アメリカ,西ヨーロッパの同時代美術とほぼ並行した造型が自由に行われ,公開されるようになった。…
※「ネイズベストヌイ,E.I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」