世界大百科事典(旧版)内のネト,A.A.の言及
【アンゴラ】より
… ポルトガルのサラザール政権期(1932‐68)には本国との結びつきを強め,51年には植民地は海外州と改称されて本国の一州に組み込まれ,積極的に入植計画,資源の開発が行われると同時に,生産物の大半は本国に輸出されるという本国・植民地の一体化が進んだ。このような植民地支配に対して,解放闘争はネトAntônio Agostinho Netoを中心とする社会主義的なアンゴラ解放人民運動(MPLA,1956結成),北部のコンゴ部族主義と反共を唱えるH.ロベルトのアンゴラ国民解放戦線(FNLA,1962結成),同じく中・南部オビンブンドゥ部族主義と反共を唱えFNLAから分裂したJ.サビンビのアンゴラ全面独立国民連合(UNITA,1966結成)の3派に分裂し,激しい対立抗争を繰り返した。74年4月の本国での軍事クーデタによって解放闘争は新局面を迎えた。…
※「ネト,A.A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」