世界大百科事典(旧版)内のネーピア,W.J.の言及
【アヘン戦争】より
…すなわち,(1)本国産業資本家による自由貿易の主張と,対外貿易を広州1港の公行に排他的に独占させている清朝政府との対立,(2)1834年に対中国貿易独占権が廃止された後も,アジア貿易金融の実権を握る東インド会社に対するイギリス貿易商人の批判,(3)清朝側では,許乃済らアヘン弛禁派と黄爵滋(1793‐1853),林則徐らの厳禁派との対立,以上の3点である。イギリス政府が対清貿易を直接に管理すべく,34年から派遣したネーピア卿(1786‐1834)にはじまる貿易監督官も貿易商人や両広総督の反発にあい,清朝にあってもアヘン禁止の効があがっておらず,それぞれが事態の打開に動くなかでイギリスはついに武力による解決を図った。総じて,アヘン戦争は,アヘン貿易の歴史的性格がもたらした帰結であったばかりでなく,通商外交関係をめぐる問題の広がりにかんがみれば,中国の近代を,ひいてはその後のアジア近代史の方向を刻印した事件であった。…
【香港】より
…香港島は海賊にとって絶好の根拠地の一つで,香港仔と筲箕(しようき)湾の2ヵ所は元代には海賊の巣窟として中央政府にも知られていた。 イギリスの初代貿易監督官W.J.ネーピアは,中国進出に際し,1834年(道光14)すでに香港が珠江流域はもちろん,華南沿岸をも制しうる絶好の位置にあり,また天然の良港であることに目をつけ,本国に占領を建議した。40年6月,イギリス艦隊が珠江の河口を封鎖して開始されたアヘン戦争で,第2代貿易監督官チャールズ・エリオットは41年5月に香港の割譲などを約して講和した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」