世界大百科事典(旧版)内のハイリゲンシュタットの遺書の言及
【ベートーベン】より
…難聴の兆候は早くも1798年ころから現れていた。音楽家にとって致命的ともいえる耳の病いがしだいに悪化していき,一時は自殺さえ考え,いわゆる2通の〈ハイリゲンシュタットの遺書〉(1802年10月6日,10日付)を書き残すまで追い込まれている。結果的にこの遺書内容は危機克服の証言として現在では解釈されているが,この機を境に彼の不屈の精神による運命への決然たる挑戦が始まっているのである。…
※「ハイリゲンシュタットの遺書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」