ハドリアナ(読み)はどりあな

世界大百科事典(旧版)内のハドリアナの言及

【パルミュラ】より

…トラヤヌス帝による東方征服の際,パルミュラも一時征服されたが長続きしなかった。続くハドリアヌス帝は129年にパルミュラを訪問してその自由を認め,パルミュラはハドリアナHadriana市とも呼ばれるようになった。 2~3世紀にかけて,パルミュラは隊商都市として大いに繁栄し,その領土も拡大した。…

【カロリング朝】より

…〈ベネディクトゥス会則〉が最も一般的な適用会則となったのも,王たちの奨励によってである。これらの教会・修道院群で従来のガリア典礼を廃し,ローマ典礼を統一的に執行させるために,教皇ハドリアヌスは典礼書《ハドリアナHadriana》を作った。 大修道院の土地台帳polypfiquerや,カール大帝の〈御料地令Capitularia de villis〉(770‐800)が示すような大規模荘園に,当時の経済が主として依存していたことは,西欧の孤立による商品流通の途絶によるであろうが,この現象は経済史家ピレンヌが考えたよりは早く,5~6世紀にはじまっている。…

※「ハドリアナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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