世界大百科事典(旧版)内のハンガリー・ジャコバンの言及
【ハンガリー】より
…啓蒙専制君主マリア・テレジアおよびヨーゼフ世が貴族の農奴収奪の制限や農奴の身分的解放を試みたが,ハンガリー貴族は強く抵抗しつづけた。フランス革命の影響を受けて,ハンガリー貴族の間にも改革を求める運動が起こり,マルティノビチら〈ハンガリー・ジャコバン〉の秘密結社ができたものの,失敗に終わった(1794‐95)。 19世紀に入って全欧的な自由主義と民族主義の高まりのなかで,ハンガリーでもまずハンガリー語の回復などの文化的ナショナリズムが起こり,次いで1830年代にはセーチェニらの貴族の穏健な改革運動が,40年代にはコッシュートら下層貴族の急進的な改革運動が起こった(〈改革期〉と呼ばれる)。…
【マルティノビチ】より
…自然科学,哲学の論文では唯物論,無神論を説く。政治的には,ウィーン時代にフランス革命のジャコバン思想の影響を受け,94年春にハンガリー・ジャコバンの秘密組織をつくって,ハンガリーにブルジョア革命を起こして共和国を樹立することを目ざした。しかし秘密がもれて,94年7月に警察につかまり,翌年大逆罪で処刑された。…
※「ハンガリー・ジャコバン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」