世界大百科事典(旧版)内のハーベルシュラック,M.の言及
【ポーランド美術】より
…また,ボヘミアの国際ゴシック様式の影響がブロツワフを中心に及び,優美な《美しき聖母子》の彫像がみられ,ハンガリーを通じては,今日でもポーランド国民の巡礼の対象となっているチェンストホバの《黒い聖母子像》と呼ばれる板絵が,14世紀にイタリアよりもたらされている。1468年にクラクフの画家ハーベルシュラックMikołaj Haberschrack(生没年不詳)が描いた祭壇画は,いまだ国際ゴシック様式の影響下にあるが,ネーデルラント絵画の新しい成果をふまえており,77年にはニュルンベルクからV.シュトースがクラクフに赴き96年まで滞在して,マリア教会に多翼の彫刻付祭壇の大作を制作し,なまなましい個性表現が同地に影響を残した。一方,当時ロシアの西部を併せていたリトアニアのヤギエウォ朝の諸王は,東方との接触を保っていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」