バスプラカン王国(読み)ばすぷらかんおうこく

世界大百科事典(旧版)内のバスプラカン王国の言及

【アルメニア】より

…アラブの過酷な支配は,851年の反乱以後ゆるめられ,885年には大諸侯中の首位にあったバグラト家のアショットに王位が与えられた。一方,南東アルメニアに広大な所領を有していたアルツルニ家は,アショットの即位に反対したが,最終的にはバグラト家の〈王中の王〉の地位を承認し,自らはバスプラカン王国を興した(908)。バグラト朝では当初より諸侯の地位が強力であり,加えて王権の分割相続も行われたので,10世紀後半には複数の王冠を戴く小所領の寄せ集めとなった。…

※「バスプラカン王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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