世界大百科事典(旧版)内のパオロ・ディ・リベッコの言及
【バーリ】より
…13世紀前半のフリードリヒ2世のときに,商業・軍事両面で重要な都市となったが,1356‐57年のペストで1万2000人が死に,人口はわずか3000人に減少した。15世紀からアンジュー家,アラゴン家,ミラノのスフォルツァ家などの支配を経,スペイン治下の1647年,ナポリのマザニエーロの一揆に呼応して,水夫パオロ・ディ・リベッコの率いる民衆は,圧政に対して立ち上がり,修道院,貴族,大商人の邸宅を襲った。オーストリア,ブルボンの統治を経て,1860年サルデーニャ王国に統合。…
※「パオロ・ディ・リベッコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」