世界大百科事典(旧版)内のパテー・シネマの言及
【映画】より
… 一方,フランスでは,1892年(1893年という説もある)にレオン・ブーリーという発明狂の技師が,シネマトグラフ(ギリシア語のkinēmatos(動き)とgraphein(描く)の合成語)という名称を自分の発明した連続写真の装置に与えたが,これが広く映画を意味することばになるのは,95年にリュミエール兄弟が〈シネマトグラフ・リュミエール〉の名で撮影機と映写機を兼ねた装置を公表し,世界で最初のスクリーンに映写する上映会を催してからである。1910年代には〈シネマcinéma〉の略語が一般化する(フランス最初の映画会社パテー・シネマが設立されたのは18年である)。 もう一つ映画を意味するフィルムfilmということばは,中世英語のfilmen(皮膚,薄い皮や膜の意)からきており,ジャン・ジローの《フランス映画用語集》によれば元来は眼球のホシ,J.vonスタンバーグの自伝《中国人の洗濯屋のドタバタ》によれば泡を意味することばだったという。…
【小型映画】より
…一般には,劇場用商業映画として使用される35ミリフィルムを〈標準型〉と呼ぶのに対して,それよりも幅の狭いフィルム(8ミリ,16ミリなど)を使用する映画を指す。しかし,本来はフランスのパテー社やアメリカのコダック社がアマチュア向けに開発,販売し,1920年代後半に〈ホームムービーhome movie〉として世界的に普及させた小型軽量の機材(パテーベビー,シネコダック)と,それ用の安価なリバーサルフィルム(ネガフィルムを使わず反転現象によるもの)を使って撮る〈映画〉の総称である。…
【フランス映画】より
…リュミエール兄弟が1895年12月28日に,パリの〈グラン・カフェ〉で彼らが発明した〈シネマトグラフ〉(撮影機兼映写機)の成果を世界で初めてスクリーンに映写して有料上映会,すなわち興行を行ったときから,真のフランス映画史が始まる。写真家出身のルイ・リュミエール(弟)は実写フィルム(《赤ん坊の食事》《工場の出口》《列車の到着》等々いずれも1895年の製作)を撮ったが,これに対して,〈シネマトグラフ〉の発明に魅せられた奇術師ジョルジュ・メリエスは,数々の夢幻的なトリック映画(《呪われた洞窟》1897,《水上を歩くキリスト》1899,《魔法の本》1900,《月世界旅行》1902,等々)をつくった。…
※「パテー・シネマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」