世界大百科事典(旧版)内のパマラユの言及
【シンガサリ】より
…暗殺者は即位して第3代トージャヤ王となるが,わずか数ヵ月後に2人の甥に暗殺され,両系統の王族の間では流血が絶えなかった。 この王朝の第5代かつ最後の王クルタナガラは,当時東アジアに急速に勢力を拡大しつつあったモンゴル族の元朝の動向を懸念し,パマラユ(マラユ遠征)と呼ばれる外交戦略を展開した。1275年ごろから始まるこの政策は従来は軍事行動と解されていたが,オランダ人ベルフの説により,現在ではシンガサリ王家が代々信奉するカーラチャクラ派の密教に基づく平和的同盟であったと考えられるようになった。…
※「パマラユ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」