パリ・ファッション(読み)ぱりふぁっしょん

世界大百科事典(旧版)内のパリ・ファッションの言及

【ローリング・トウェンティーズ】より

…20年代のパリには,ロシア革命によって亡命してきたロシア人と,戦後パリにあこがれて禁酒法のアメリカを逃れてきた,いわゆる〈パリのアメリカ人〉があふれていた。ディアギレフのバレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)はパリ・ファッションを刺激した。ヘミングウェー,F.S.K.フィッツジェラルドなどのロスト・ジェネレーションに属する作家,ガーシュインやコール・ポーターなどの音楽家,そしてマン・レイなどの〈パリのアメリカ人〉たちがヨーロッパにジャズ,カクテルなどのアメリカン・スタイルを持ち込んだ。…

※「パリ・ファッション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む