世界大百科事典(旧版)内のパンジャルーの言及
【クディリ朝】より
…アイルランガ王は死去(1049)の4年前から再び隠遁生活に入り,王国は2人の王子の間に分割された。その一方はジャンガラ,他方はパンジャルー(別名クディリ)と呼ばれたが,前者は次第に衰え,後者の王カーメシュバラ1世(在位1115‐30)の時,再び両者を合体させ,ジャワだけでなくバリ,ボルネオ南西部,チモール,スラウェシ南部,テルナテなどの各地に勢力を及ぼし,1222年ケン・アンロックに滅ぼされるまで王朝は続いた。前述の叙事詩のほかにもやはりインド文学を翻案した《バーラタユッダ》などが知られ,また人形劇ワヤンなどの発達を見た。…
※「パンジャルー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」