世界大百科事典(旧版)内のパーライヤッカーランの言及
【地主】より
…イスラム勢力の直接的な支配を受けなかったビジャヤナガル王国では,バラモンの地主以外に,レッディ,ベラーラ,ガウンダなどの非バラモン有力カーストの中から,数ヵ村ないし数十ヵ村の所領を支配し,水利権,徴税権,軍事権を保持する者も現れた。彼らの中でとくに有力な者はナーヤカと呼ばれ15世紀以降には数県にまたがる地域を一円支配する領主となる者もいたし,また,ナーッタム,パーライヤッカーラン(ポリガール)と呼ばれる地主・小領主層も南インドの南部に現れた。
[イギリス東インド会社]
18世紀末からインドの直接支配を目ざしたイギリス東インド会社政府は,本国の近代的な地主制の観念を導入し,かつインド古代法典に基づき〈インドでは古来,国家が最高の土地所有権者である〉という論拠に立って新たな徴税制度を実施した。…
【ナーヤカ】より
…とくに16世紀後半,南インドの各地で地方勢力の独立化が進むと,タンジョール,イッケリ,ジンジー,マドゥラなどでは,その地に封じられていたナーヤカによる半独立領国体制が成立した。さらに,ナーヤカの下には村・郡段階での徴税・軍事権をもったパーライヤッカーランPalaiyakkāran(あるいはポリガールPoligār)なる土着的支配層も台頭した。ナーヤカを〈封建制〉を支えた〈領主〉層とは必ずしも規定できない。…
※「パーライヤッカーラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」