ヒュースケン,H.C.J.(読み)ひゅーすけん

世界大百科事典(旧版)内のヒュースケン,H.C.J.の言及

【ヒュースケン殺害事件】より

…万延1年12月5日(1861年1月15日)夜,アメリカ駐日公使ハリスの通訳官でオランダ人のヒュースケンHenry C.J.Heuskenが,攘夷派の浪士たちに殺害された事件。条約交渉中のプロシア使節の通訳にあたっていたヒュースケンは,赤羽根接遇所から麻布善福寺のアメリカ公使館に騎馬で帰る途中に襲われ,幕府はオランダにいる同人の母に賠償金として1万ドルを支払った。…

※「ヒュースケン,H.C.J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む