世界大百科事典(旧版)内のヒルシュフォーゲル,A.の言及
【銅版画】より
…金属を一種のワックスで防食し酸による腐食で装飾することは14世紀以来行われてきたが,それは必ずしも銅ではなかった。1500年ころアウクスブルクのホッファーDaniel Hopfer(1470ころ‐1536)の金工工房でエッチングが初めて試みられたときも腐食したのは鉄板であり,デューラー,アルトドルファー,ヒルシュフォーゲルAugustin Hirschvogel(1503ころ‐53),ブルクマイアなどのエッチングはいずれも鉄版でなされた。 1520年代にネーデルラントのL.ファン・レイデンが銅版のエッチングをはじめ,16世紀中期から全ヨーロッパに行われる。…
【ドナウ派】より
…南ドイツ,バイエルンのレーゲンスブルク,パッサウからウィーンに至るドナウ河畔で16世紀前半に活動した一群の画家をさす。アルトドルファー,フーバーWolf Huber(1485‐1553),フリューアウフ(子)Rueland Frueauf,初期のL.クラーナハなどが中心で,その他ヒルシュフォーゲルAugustin Hirschvogel,ラウテンザックHans Sebald Lautensackなどの版画家もあげられる。彼らは一派を形成したわけではなく,また個人的なつながりもほとんどなかったが,ドナウ河畔の美しい自然に対する風景感情のめざめという点で共通していた。…
※「ヒルシュフォーゲル,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」