世界大百科事典(旧版)内のヒル・デ・タボアダ,F.の言及
【副王制】より
…メキシコのアウディエンシアの専横と腐敗の報に接し,スペイン王室は国王の代理として,また,土着の君主の後継者としてインディアスを統べる,いわばカリスマ的な権力を有する官吏を派遣する必要を痛感し,1529年ヌエバ・エスパニャ初代副王としてメンドサAntonio de Mendozaを任命した(実際の統治期間は1535‐50年)。16,17世紀を通じて,副王の大半はスペインの上流貴族の出身であったが,18世紀以降になると,ペルーのアマトManuel de Amat y Junyent(在任1761‐76)やヒル・デ・タボアダFrancisco Gil de Taboada y Lemos(在任1790‐96)のように,しばしば小貴族や中産階級の出で啓蒙精神の持主の中からも任命された。副王は歴代スペイン生れのスペイン人(ペニンスラール)が任命され,植民地史上100名余りの副王のうちクリオーリョ(クレオール)はわずか5名足らずであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」