《ヒンディア・プートラ》(読み)ひんでぃあぷーとら

世界大百科事典(旧版)内の《ヒンディア・プートラ》の言及

【インドネシア協会】より

…17年には将来オランダ領東インドに就職するオランダ青年を主とする連合団体に加盟したが,立場の相違から19年に脱退し,23年1月に東インド協会をインドネシア協会と改称した。16年から発刊していた機関誌《ヒンディア・プートラ》は,24年から《インドネシア・ムルデカ》と改名され,ハッタイワ・クスマ・スマントリアリ・サストロアミジョヨなどの指導のもとに全インドネシア的民族主義運動の育成に努めた。26‐27年ごろを最盛期とし,留学生の帰国と共に次第に衰えた。…

※「《ヒンディア・プートラ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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