世界大百科事典(旧版)内のビエロポルスキ,A.の言及
【ポーランド】より
…その3年後には,進歩的な地主貴族を集めた農業協会の設立が許可され,61年にはクローネンベルクの主宰するワルシャワ市代表団の設立が許可された(いずれも一月蜂起のなかで穏健派を構成することになる勢力である)。さらにワルシャワ中央学校の開設などで貢献するところが大きく,ポジティビズム運動の先駆者ともいうべきビエロポルスキAleksander Wielopolski(1803‐77)の民政官就任などがロシア皇帝からの妥協策として示された。しかし,それがかえって過激派を勢いづかせることになり,1863年,ワルシャワで一月蜂起が勃発することになる。…
※「ビエロポルスキ,A.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」