世界大百科事典(旧版)内のビオスコープの言及
【映画】より
…のぞきからくりを映写装置に変える試みに成功したのはリュミエール兄弟であった。
[シネマトグラフの登場]
スクリーンに映写する実験はエジソン自身もすでに1889年に行っており,リュミエール兄弟以前にも,ドイツのスクラダノフスキー兄弟によるふつうのロールフィルムで撮った連続写真をスクリーンに拡大映写したビオスコープbioscopeなどもあるが,リュミエール兄弟が発明した撮影機兼映写機シネマトグラフ(当初は映写式キネトスコープkinétoscope de projectionと呼ばれていた)は,現実そのままの〈動き〉をとらえスクリーン上に再現する装置であった。95年12月28日,パリのグラン・カフェの〈インドの間〉で世界最初の有料試写会が行われた。…
【ドイツ映画】より
…以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。
[草創期――映画製作の始まりから〈文芸映画〉の誕生まで]
フランスのリュミエール兄弟がパリで〈シネマトグラフ〉を公開する2ヵ月近く前の1895年11月,ドイツのスクラダノウスキー兄弟Max Skladanowski,Emil S.が〈ビオスコープBioskop〉と呼ばれる〈動く絵〉をベルリンの〈ウィンターガルテン〉という寄席のプログラムのなかに組み入れて発表し,翌96年,〈ドイツ映画のリュミエール〉といわれるメスターOskar Messterが,フィルムの映写機と蓄音機を結びつけた〈ビオフォーンBiophon〉を〈ウンター・デン・リンデン〉で映写し,ドイツにおける映画製作が始まった。しかし,作品としては初期のドイツ映画には見るべきものがなく,アメリカ,フランス,イタリアから輸入された〈外国映画〉が主流であった。…
※「ビオスコープ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」