ビオフォーン(読み)びおふぉーん

世界大百科事典(旧版)内のビオフォーンの言及

【ドイツ映画】より

…以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。
[草創期――映画製作の始まりから〈文芸映画〉の誕生まで]
 フランスのリュミエール兄弟がパリで〈シネマトグラフ〉を公開する2ヵ月近く前の1895年11月,ドイツのスクラダノウスキー兄弟Max Skladanowski,Emil S.が〈ビオスコープBioskop〉と呼ばれる〈動く絵〉をベルリンの〈ウィンターガルテン〉という寄席のプログラムのなかに組み入れて発表し,翌96年,〈ドイツ映画のリュミエール〉といわれるメスターOskar Messterが,フィルムの映写機と蓄音機を結びつけた〈ビオフォーンBiophon〉を〈ウンター・デン・リンデン〉で映写し,ドイツにおける映画製作が始まった。しかし,作品としては初期のドイツ映画には見るべきものがなく,アメリカ,フランス,イタリアから輸入された〈外国映画〉が主流であった。…

※「ビオフォーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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